レトロとヴィンテージと現代と②

こんにちは☆

前回の続きです。

僕が最近また注目している、レトロ、ヴィンテージを掘り下げていきたいです。

さて、様々便利となった現代。

 

それに相反して、レトロやヴィンテージといった、古き良きモノという文化やアイテムに、最近の僕は特に魅力を感じてしまいます。

 

例えば僕が大好きなデザインにしろ技術にしろ、今あるモノの最先端というものは、ほぼ過去の技術の応用であり、それはみな【人】が産んだ技術と知識、或いは発見です。

僕はそんな歴史自体、また、その歴史と共に歩んだ【人】と【環境】と【時代】に興味があります。

 

また余談ですが、僕の憧れの車であるロックダウンやホットロッド・・・ではなくてここではランボルギーニを掘り下げます。笑

 

ランボルギーニの創設者である、フェルッチオ・ランボルギーニ。

フェルッチオ自体は典型的なイタリアーノな漢で、エアコンとトラクターで財を得たことから彼のスタートが始まります。

驚きなのは財を得た後、憧れのモノとして彼は今では絶対的ライバル社である、フェラーリを購入しました。

その際にこれから僕が語る諸説は色々あり定かではないのですが、有名な一説があります。

ある日、彼が所有したフェラーリのクラッチが故障し、修理のためにフェラーリから送られてきたパーツを見ると、ランボルギーニ社でも当初使用していたクラッチと同様のものに、10倍以上の値段が付いていたそうです。

それに激怒したフェルッチオは、フェラーリ社に乗り込みクレームを言うのですが、その時にすでにセレブなブランドとして確立していたフェラーリには、そのクレームも鼻であしらわれてしまったそうです。

そこで彼の悔しさは去ることながら、「10倍の値段で売れるのか!」というビジネス的観点からも一大決心をし、今や車界の最強ブランドの一つ、【ランボルギーニ】として自動車ビジネスに参入するきっかけとなったそうです。

こちらも諸説ありますが、現在では当たり前なエアコンは当時の車には標準装備されていなく、フェルッチオが憧れで購入したフェラーリでもそれは同じ。

ある日女性とフェラーリでドライブをしていたフェルッチオは、せっかくメイクを綺麗にしてきてくれたパートナーのメイクが汗で落ちてしまい、その経験から全ての車種にエアコン標準装備を採用したといいます。

ランボルギーニのまさに男気あふれるそれは、車のフォルムやデザイン、この時代に相反する排気量など、現代のランボルギーニに受け継がれているスピリットと言えるのではないかと思います。

 

さて、このランボルギーニが買えるか買えないか、などというお話ではなく、僕がこのテーマとして言いたいことは、【ランボルギーニにもスタートがあった】ということ。

現行車で最も人気な車として、アヴェンタドールが挙げられます。

うーん、やっぱりロックダウン。笑

かっこいいっすね・・・☆

このアヴェンタドールでランボルギーニを知った人もいるとは思うのですが、アヴェンタドールにも勿論歴史があります。

こちらはサイバトロン戦士であるランボルでも有名なカウンタック。

そしてアヴェンタドールの始まり、ランボルギーニの伝説はまさにこのカウンタックに纏わるものが有名で、少なくとも日本のスーパーカーブームの火付け役はこのカウンタックと言えると思います。

その後、ディアブロ、ムルシエラゴと進化し、現在ではアヴェンタドールやセンテナリオといった超進化へ。

ディアブロ

ムルシエラゴ

 

話を少しずつ戻します。

ランボルギーニの創設は1949年。(前述したトラクター会社である【ランボルギーニ・トラットリーチSpA】)

ここからスタートし、現在2017年までに約70年。

この70年という時間が、正直長いのか短いのか分かりませんが、70年という時間という中にランボルギーニだけを切り取ってもそれはもう沢山の歴史と進化がありました。

僕の祖父も70代。

よく昔の武勇伝を語ってくれます。笑

前述したカウンタックは、所謂ヴィンテージスーパーカーですが、発表は今から46年前の1971年。

46年前に産まれたものが「ヴィンテージ」なんて呼ばれているんですね。

46歳の方、もうヴィンテージだそうですよ。笑

 

冗談はさておき、ここで一つ、Wikipediaの力を借りましょう。笑(以下Wikipediaより抜粋)

 

”ヴィンテージとは、前述のように元来はぶどうの収穫を指し、ぶどうを醸造してワインにする年号、そして車両やジーンズ、ギターなどに対してある特定の年代の事を指す言葉である[1]。
「ヴィンテージ」の語源の一つとして “vine” がある。これは、つる植物を意味し、その多くはぶどうを指す。例えば “grapevine” はぶどうの木を指すが、ぶどう園の事を “vinery” あるいは “vineyard” と呼ぶ。又、ワインと関連する酢も英語で “vinegar” と書きフランス語で酢を意味する “vinaigre” も単に語源は “vin aigre” (酸っぱいワイン)という意味から分かるように “vine” はぶどうに大きく関係している言葉である。(※:ちなみにワインも “wine” である。)これらの事からぶどうの収穫が質・量共に良かった時代の年を “vintage” として「特定の年に作られた良いもの」という意味で使用された。さらに意味が派生してワインを含め、車やジーンズ、ギターなどある特定の年の「よき時代」に生産された物が長い年月を掛けて現在にも残る「年代物」といった意味で使用される言葉である。例えば、乗用車における “vintage car” は、1910年代後半(1916年から、又は1919年から。文献によって違いあり)より1930年までに生産された自動車を指し、自動車愛好家にとって「特定の年に作られた良いもの = ヴィンテージカー」という認識が存在しているからだと考えられる[2]。
「年代物の逸品」という解釈は間違っていないが「特定の年に作られた良いもの」という非常に限られた範囲の指標を持つ意味である事が、ヴィンテージという言葉の意味で特筆とされる部分であろう。”

 

ということで、どうやら言葉のルーツはワインからだそうです。

そういえばワインもそうですが、リーバイス501やロレックス、ギターにもヴィンテージと呼ばれる歴史があります。

僕も10代の頃、リーバイス501のヴィンテージに憧れ、何十万という大枚をはたいて股部分がボロボロになった小汚いジーンズを自慢げに履いていたことを思い出します。

 

さて、話が脱線しまくった理由はここから。笑

 

ところでレトロも似たような語源ですが、こちらも曖昧な表現であって、はっきり指す年号なんかは無いようです。

要は雰囲気?笑

古き良きものという概念とはまた違った、こちらもまた呼び名なのでしょうか。

ヴィンテージとかレトロとか、言い方とも言えるのかも知れません。

 

では僕が最近思うそれは、言い方は勿論ですがそのモノの魅力よりも【思い出】に価値があると感じています。

 

「懐かしい」や「楽しかった」と思える記憶は人それぞれですが、僕が思う懐かしく楽しかった記憶は、なんだか子供の頃に多かった様に思います。

ビックリマンを集めていた楽しさや、ドラクエ2のロンダルキアへの洞窟の鬼畜とも言える絶望感なんかは、あの時感じていた苦労(と言っていいのか笑)や、時に袋を開けて出てくるシールの運なんかが、すごく楽しかったという記憶が産んだモノだと思うのです。

僕がドヤ顔で履いていたリーバイス501のそれは、特に当時の僕にとってはリーバイスの歴史も何もなく、人がかっこいいと言うから買いました。

これも勿論いいのですが。

 

ここで価値の話。

 

驚くのは、ヴィンテージと呼ばれるものの価値。

価値とはここではまず【値段】の話から。

希少という意味からも、ヴィンテージと呼ばれるものには【プレミアム価値】が付加価値として付随します。

これが高いかどうかは見る人それぞれですが、僕は前述した【歴史】や時に【思い出】というものへの付加価値を考えると、プレミアム価値が付いていることに納得してしまいます。

今よくある転売とは違う、列記とした希少価値。

 

では、現代が楽しくないか、現代のモノに価値がないのかといったことでは全くなく、寧ろ逆。

価値がありすぎる便利なモノで溢れかえっているからこそ、モノも価値も飽和してきていると僕は思っています。

iPhone、何回変えればいいの?とか。笑

もうグラフィックではなくて、プレステ4で面白いゲーム出してよ・・・とか。(ドラクエは最高だった笑)

 

以前、僕はテクノロジーや技術の進化・利便によって、お客様との距離感が遠くなったともお話していました。

 

お客様との距離感は勿論、モノの価値の飽和という危機感を僕は感じています。

この現代、ありとあらゆるものが増えすぎ、検索や例えばカスタマーレビューなどという【目に見える情報】により、価値をみんなで確かめ合うことが可能な時代です。

例えばこの先70年が経ったとして、ヴィンテージやレトロな価値感というものが、僕が言う例えば思い出だとか、今のそれと同じ意味合いを持つモノなんでしょうか。

現代のモノの価値観は先入観が先となり、いつしか持たなくてもそのモノへの評価が出来るようにもなりました。

よりによって未プレイレビューや非所持レビューすらも可能なのです。

 

 

冒頭の、【人】と【環境】と【時代】。

それらが織りなし、モノが産まれます。

そしてそれらこそ【お金】であり【価値】であり【対価】です。

 

僕が考える古き良き時代とは、それらが大切にされていた、人が創り出したモノや偉業の数々。

そこで生まれる感謝や可能性、そして感動や楽しさだと思います。

長々と前述したランボルギーニも、その歴史や偉業を知ることで、例えばいつの日かそのランボルギーニのコクピットや助手席に乗ることができたのなら、ランボルギーニの魅力をより一層楽しめると思いませんか?

 

いずれこちらのブログでもお見せしますが、それらを最近、レトロやヴィンテージな「懐かしいモノ」から感じ取り、趣味として収集しています。

そして、それらを経て、現代だからこそできる何かを、僕はRTとレッドスターを通じて考えていかなくてはならないと感じています。

 

 

では、長々最後まで読んでくれた方、有難う御座いました。

※全て僕個人の見解です

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